ビ〜ンズ先生の自己紹介②

こんにちわ!ビ〜ンズ先生です!

昨日から始めたブログですが、まだまだ慣れてなく、読みにくい内容になっていますが、根気強く続けていこうと思っています。

今回は、自己紹介②ということで、大阪に移住してから、ガムシャラに努力をした1年目の出来事や感じたことを記したいと思います。

大学4年生の2月、大阪に荷物を運ぶために高校時代の友人2人とともに、ハイエースで大阪に向かいました。当時CMで向井理さんが新生活を始める若者を演じていましたが、まさにそのCMのような雰囲気で、楽しく引っ越しを行なったことが懐かしいです(^ ^)

大阪に着いて驚いたのは、とにかく街ゆく人々が信号を守らない…笑。大阪に着いたのが午前6時ごろだったので尚更だとは思いますが、数回危ない場面に見舞われ、洗礼を受けたように感じました…笑。卒業式を終えた2日後に、母親と一緒に残りの荷物を車に乗せて、大阪に向かい、本格的に大阪生活が始まりました。

そして4月から、いよいよ私立学校にて教員キャリアがスタートしました。

赴任した学校は、進学校でありながら学力別でクラスが分かれていて、各学年4クラスありましたが、4つの学校で授業をしているような感覚でした。国公立大学進学に向けたクラスと、私立大学進学を目指すクラス、授業内容も変えながらやっていかないと、生徒のニーズに答えることできませんでした。しかも上位のクラスには「僕、京都大学が第一志望です」「私は大阪大学です」といった生徒が多く在籍していました。

1年目に向け持ったのが授業が、高校3年生の政治経済、高校2年生の世界史と倫理。ちなみに私は世界史が専門でしたが、受験を経験していないので、知識は絶望的にありませんでした…汗。センター試験も受験したことがなく、大学でもろくに授業を聞いていませんでしたので、本当に自分がちゃんと授業ができるか不安でした。まして政治経済に至っては、高校時代に授業を受けたことがなく、知識レベルは中学生以下だったと思います。「本当に大丈夫か…」と思いましたが、教育実習ではうまくいったので、根拠のない自信がありました。

そしてついに授業が始まりましたが…

絶望的にうまくいきませんでした…。

全く話にならないほどの授業内容でした。特に上位のクラスは、大阪大学や神戸大学などを目指すクラスでしたので、中学校レベルにも満たない政治経済の知識では、全く通用しませんでした。

いま思えば、本当に生徒のみんなには申し訳ない授業だったと思います。ここでこれまでの学生生活を大きく後悔することになりました。「もっと勉強しておけばよかった…」「真面目に授業を受けるべきだった…」。

ボロボロになりながら1週間が過ぎて、初めての休日。大型書店に走り、当時あった貯金のほとんどを教材費に使い込みました。そこからひたすら教材研究。次の日には、また違う授業しなければならないプレッシャーと闘いながら、それまでの学生生活を取り戻す勢いで勉強を続けました。休日になるたびに、書店に行き、新しい教材を購入して勉強を繰り返す。休日に休んでいる暇はありませんでしたので、10時間以上教材研究をしていたと思います。

それだけやっても、授業はうまくいかない。上位のクラスは、自分の授業を聞いても意味がないので、個人で勝手に勉強していました。寝ている人も多数…。4月からすでに「もうやめたい…」と思っていました。「自分には向いていない」「そもそも受験を経験していない人間が高校の教員なんてできるわけがない」、日々自分に対する言い訳をしていたと思います。

しかし、次の日にはまた授業がある。ガムシャラにやるしかありませんでした。「全ては目の前の生徒のため」。この時に思ったこの言葉が、その後の教員生活を続ける指針になっていました。

人間やればできるものです。数ヶ月経つと、それなりに授業が成立するようになっていました。いま思えば、一生懸命やっている姿が生徒の心に響いたのかなと思いました。できない自分に言い訳をし続け、何も努力をしなければ、生徒は離れつづけ、自分も成長せずに終わっていたと思います。しかし、一生懸命にやり続けたことが、生徒の同情を生み「とりあえずこいつの授業、聞いといたるか」という意識にできたのかなと思います。

特に下のクラスの生徒たちには、なぜか好かれました。私は学生時代、勉強が得意ではありませんでした。いまでも数学や英語などの知識は小学生レベルだと思います(笑)。だからこそ「できない子の気持ちがわかる」。これだけが強みでした。

そういった強みを生かし、自分でも納得ができる説明を考えて実践していたので、勉強の苦手な生徒たちは本当によく聞いてくれました。1年目に頑張れたのは、そのような生徒の存在が大きかったかなと思います。

1年目の授業は、怒涛のように過ぎていきました。幸い周りの先生方にも恵まれ、あたたかく指導をしていただいたので、1年目が終わる頃には立派に受験指導ができるようになっていました。

教員を目指す学生の皆さん、

いまは最低限の勉強はしておいた方がいいかなと思います。しかし決して受験レベルの知識はなくても、なんとかなります。先生になってしまえば、嫌でも勉強をして、授業をしなければならないので、勝手に知識がついていきます。それよりもいまやるべきことは……、このことについてはまた別の機会に詳しく記そうと思います。

授業以外には、特別活動(生徒会)と軟式野球部(中学部・高校部)を受け持ちました。

学生時代、野球しかやったことがなく、生徒会活動とは無縁の自分が、生徒会を受け持つことになり、周りの友人からは笑われました。自分も笑うしかありませんでした。しかし、この経験がのちに公立高校に移った時に生かされ、最終的には生徒会主担として教員キャリアのほとんどを生徒会活動に捧げるとは…、人生とはつくづくわからないものだなと思います。学生時代の経験などそこまで大きな意味を持たないのかな〜とも思います…。

部活動は、念願の野球部(中学部)を持ちましたが、7月の大会を最後に廃部になることが決まっていました(笑)。

それでも…「全ては目の前の生徒のため」、その気持ちを強く持ちながら指導を続けました。

当時の指導法は「The 昭和!」。自分が受けてきた指導をそのままやっていました(笑)。根拠もなく、ただただ怒り続けていたと思います。すぐに部員が1人やめてしまいました。それ以外の生徒もやる気のない態度をあからさまに出していました。その態度にまた怒る。いま思えばめちゃくちゃでしたね…汗。

最後の大会もあっけなくコールド負けでした。

元々学校の方針で、「部活動は週3日まで」と決められていましたので、本来ならもっとノビノビやらせてあげるべきでしたが、他の指導法を知らない自分は、厳しくすることしかできませんでした。本当に当時の生徒には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

7月以降は、高等部の軟式野球部に移りましたが、そこでも「The 昭和!」。監督ではありませんでしたが、監督よりも前に出てあ〜だこ〜だ言っていたと思います。当時の自分をボコボコにしたい気持ちです…笑。

といことで、1年目に授業も部活も全然できていなかった、恥ずかしい経験をお伝えしました。

書きながら思いましたが、自己紹介長い!!すいません…。

しかし、それだけ濃かった1年間でしたので、長く書かせてもらいました。

次回からは、残りのキャリアを「ギュッ」とまとめてお伝えしていきたいと思います。

それでは、また!

今日も頑張る先生方!「全ては目の前の生徒のため」です。笑顔で頑張ってください!

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